STUDIO LUMIERE  

<   2013年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

「キャパの十字架」を読み終えて。

d0154964_1347251.jpg


「写真は嘘をつく」
沢木耕太郎さんの「キャパの十字架」の中の一節。
真実だ。痛恨の言葉でした。
写真の仕事に関わってきた人間の一人として、この本を読みながら、
冷や汗、脂汗といった悪い汗をかくことになりました。
次々とつきつけられる内容は否定できないどころか、
いままで不思議に思っていたことや、
なんとなくうやむやだった不整合を
「気持ちよく」と言ってよいほどきれいにつなぎ合わせてくれました。
我らが英雄「キャパ」に夢とロマンを捨てきれるものではありませんが、
数々の事実は残酷な結論へと、ベクトルの矢をむけていきます。

先に「崩れ落ちる兵士」の謎を追うNHKの番組についてふれました。
沢木さんがナビゲーターとして多くの謎を検証していました。
くり返しになりますが、この写真を
「撮ったのはキャパではなく、ゲルダだったのではないか?」
というところに注意がいきすぎて、
他の部分をあまりに軽く見過ごしてしまったようです。

後日、書店で平置きされている「キャパの十字架」を
「ああ、これか…」と、めくって読みはじめたのですが、
ページのあちらこちらからショッキングな言葉があらわれ、
まさに冷や汗、脂汗でした。
たぶん、読んだ人全員が私と同じ感想を持つ本ではないでしょう。
人によっては、新たな発見のひとつ。という程度ものでしょう。
あるいは、ただただ、沢木さんの緻密な検証と執念に関心する。
短絡的に言ってしまえば、やってはいけないことがある。嘘はいつか露見する。
それは良くない。簡単なことのように思えます。
ただ、生身の人間がどのような状況においてもそれを守りきれるものなのか?
きっと私は落伍者となるにちがいありません。逆に言うなら守れない人は、
ジャーナリストになるべきではないのでしょう。どんな事情があっても
事実のみを正確に伝えるべきなのかもしれません。たとえそれが写真作品として
なんの面白みがなかったとしても。そして、命ある限り自らの作品に責任を持つ。
いま、こう書きながらも、泣きたいほどの空しさをおぼえます。

新聞をはじめ、メディアは売れない写真を歓迎しませんでした。
人々の目を惹く、大胆な構図やパースペクティブ、
ショッキングな題材に、大げさな演出。
そもそもグラフジャーナリズムが要求してきたものの根幹に
そうした事情があったことを棚上げにし、
ひとりの写真家の過ちをやり玉にあげることができるでしょうか。
いわば共同正犯です。言葉を借りるのなら嘘をつくのは写真だけではない。
(正確には嘘をつくのは写真ではなく人であり、
むしろ写真は嘘をつけないのではないでしょうか?
この本の結論を導くにあたり、さまざまな検証で
写真が嘘をつけないということを証明しているようにも思えます。)
文章も、絵も、音楽も、もちろん人も…すべてに言えることです。
ここで誤解のないように。
だから写真も嘘をついて当然ということではありません。
人を陥れたり、悪意ある嘘をつく人間にはなりたくない。
訂正するべきはきちんと訂正する姿勢でいたい。
それが精一杯のところです。

キャパという世界的な報道写真家の名作にまつわる話でしたが、
自分が生きてきた写真の世界を見つめなおすことにもなりました。
若き日にあこがれたフォトジャーナリズムという世界。
自分がいままでやってきたこと、見聞きしてきたことを省みて、
鋭い指摘の部分ばかりが胸に刺さり、今、まさにはりつけです。
私には、この本が名作の謎解きだけでなく、
写真そのものがおかれた立場、
存在価値の厳しさを問いかけているように思えました。
沢木さんがあとがきのなかで、
もしかしたら、キャパも天上のどこかでこう呟いているかもしれない。
「ろそろ いいかな」と。
と締めくくっておられましたが、
キャパは良くても、私は全然よろしくないです。そう毒づきたくなりました。
いろいろと気をつかいながら、あまり重い結びにならないように
フェードアウトしてくださいましたが、
まだ十字架は負わされたままのように思います。
あの写真が主をさがして亡霊のようにさまよっている。
信じた人たちに裏切られたのではないかと。
ここでも、技術の主である人間の姿勢が問われるでしょう。
写真の問いかけに、人が主としてどれだけ真摯に答えてやれるか、
もう答えることができなくなってしまったキャパにかわって、
答え得る、のこされた人々の声に期待をしたいと思います。
どのような答えであろうと、それが本当のことであるなら、
キャパもゲルダもその作品たちも、はじめて、
心安らかに眠ることができるのではないでしょうか。

久しぶりに興奮しながら本を読みました。良い本でした。
記憶に残る一冊になりました。
沢木さんの好奇心と探究心に、こころよりの
拍手を贈らせていただきたいと思います。


訂正:もしかしたら、キャパも天上のどこかでこう呟いているかもしれない。
「ろそろ いいかな」と。

この部分を誤読しました。「いいかな」は「真実をあきらかにしても」ということで
「自身の背負った十字架をおろしても」といったことではないようです。
「毒づく」ようなことではありませんでした。お詫び申し上げます。

[PR]
by mooriyan | 2013-02-21 13:52

「 なりすます 」

d0154964_14123123.jpg

d0154964_14124479.jpg

d0154964_14125975.jpg

d0154964_14131311.jpg

d0154964_14132526.jpg

d0154964_14135956.jpg

d0154964_14432781.jpg

d0154964_14142570.jpg

d0154964_14143959.jpg


「なりすまし」とは、最近では悪い意味で使われることが多いですね。
人をだますエネルギーを、他の役に立つことに使えるといいのですが…。
広辞苑をひくと、【成り済ます】①全くなってしまう。なりおおす。
②なりきった風をする。とあります。
「なりおおす」ことができればこれはたいしたものです。
美術館が所蔵していた名画が、実はとても良くできた贋作だった。
とか、ペンネームを使ってまったく違う作風を展開する小説家など。
わたくしレベルでは②のほうが敷居も低くてなじみやすいのですが、
なんか悪い方へ歩み寄ったような気がして後ろめたくもあります。

今回の写真は、みなさんの目にはどのように映りますでしょうか?
学生の頃、同じようなことをしたことがありますが、
お世話になっていた写真家の先生に「これ、おまえが撮ったんじゃないだろ。
彼女の写真でも借りてきたか?」などといきなり疑われました。
いろいろとなりすまそうとすると、あらぬ疑いまでかけられるかもしれませんが、
時にはこうした手法で違う方向を向いてみることも悪いことではないと思います。
ただ、やりすぎて自らを見失って、多重人格に苦しむ患者さんのように
ならないように気をつけなければなりませんが。
[PR]
by mooriyan | 2013-02-16 14:34 | mooriyan

「 スペシャルゲストdesire_sanさん 」

コメントをいただいたdesire_sanさんのブログがたいへん興味深いものでした。
そこで、私のブログに転載をお許しいただき、
お粗末ながらコメントを挟ませていただきました。
将に、ひと様のふんどしをお借りすることになりますが、
私の恥よりも皆さんの写真に対する理解を優先したく思います。
キャパに関する情報を補っていただきたく思います。
あわせて、desire_sanさんの「芸術作品としての写真」に関する
所見を、ぜひ参考にしていただければとおもいます。



戦場に生きる人々を芸術として記録した天才写真家

ロバート・キャパ
Robert Capa
d0154964_17283465.jpg

戦場写真の神様的存在である報道写真家ロバート・キャパの写真のほぼ全貌を展示した「ゲルダ・タロー、ロバート・キャパ、二人の写真家」が横浜美術館で開催されていましたので久しぶりにロバート・キャパの写真を見てきました。


ロバート・キャパの本名はエンドレ・フリーマン、ロバート・キャパという名はペンネーム(カメラ・ネーム)でブランド名でした。彼がアメリカに帰したとき正式にロバート・キャパと登録されました。

Robert Capa (real name André Friedmann) was born in 1913 in Budapest, Hungary. From 1930’s until his death in 1954, he traveled the world as a photojournalist, capturing the events of wars and people’s lives in many locations.
d0154964_17304257.jpg

最初に世に知られることになった写真は、1932年スターリンによってソ連を追放されたトロッキーがデンマークで行った演説の写真が展示されていました。迫力あるトロッキーの表情を収めた彼の写真は現像の時はついた水滴が残り、この水滴がトロッキーの演説に対する聴衆のざわめきを表現しています。
mooriyan: フィルム時代初期の報道機関の暗室作業には、けっこう乱暴な作業が多く、
一秒でも早く写真にするために、現像が終わったばかりのフィルムを濡れたまま引き伸ばし機にセットしてしまうことがあったようです。ちょっと気の利く暗室マンはフィルムにグリセリンを塗ったりしたそうですが、いずれにしろ乱暴な感じは否めません
それが写真作品の臨場感をひきたたせたりするのはなんとも面白いことです。
後に撮られたノルマンディーの一連のレポートも
乾燥に失敗し、フィルムを変形させたことがかえって躍動感を生むことになりました。
話は少々脱線しますが、フィルムの破損がそのまま作品の一部になった
アンリ・カルティエ・ブレッソンの「 Seville 1933(路地で遊ぶ子供たちの写真) 」
なども面白い例だと思います。
d0154964_1865774.jpg

画面右下の、一見ひび割れにみえるのがフィルムの破損部分です。
展示、出版にあたっては、修正されていることもあり、いろいろと興味深いです。


In the five wars he covered during a career of more than 20 years, he risked his life to take a large number of remarkable photographs. He also recorded the lives of ordinary people living in this troubled world, creating photographs that are filled with wit, passion, and deep empathy. Both the horrors of war and human warmth are given effective expression in Capa’s documentary photographs, which have a time-transcending appeal that is as strong today as ever.

d0154964_17385181.jpg

 ロバート・キャパは同じようにドイツから亡命してきたユダヤ人女性ゲルダ・ポホリレスと出会い、いっしょに仕事をするようになりました。彼女は秘書兼営業を担当、フリードマンが暗室で現像・焼き付けを担当する事務所を開設し、アメリカからやって来た有名カメラマンの「ロバート・キャパ」という架空の人物を表看板として活動を始めました。ロバート・キャパという架空の存在で写真の価値を上げようという作戦でした。すぐにバレましたが、彼はロバート・キャパという名前が気に入り、ついに本名としてしまいます)恋人だったゲルダは、彼からの結婚の申し込みを断りカメラマンとして一本立ちを目指すようになり、別行動をとるようになりますが1937年スペインからパリへと帰る途中交通事故で命を落としてしまいます。
mooriyan: キャパというクレジット。意気投合した若い2人には希望に満ち、
光り輝いて見えたことと思います。映画監督のフランク・キャプラとの混同をねらった、ちょっとしたいたずらもあったり?
でも最期までこのクレジットを愛したのは、やはりフリードマンが「男の子」だったからではないでしょうか? 
1937年、もし、命を落とすのがキャパの方だったら…ゲルダのさっぱりとした性格からすると…そんなことを思います。


 写真は、何を撮るか?どうやって撮るか?どう現像するか?などを撮影者が選択して行く中で、しだいに思想性が持ち込まれるようになり芸術となります。キャパの命がけで撮影した幾多の衝撃的な写真、同時にそのような激動の世界に生きる一般市民の姿に対するロバート・キャパの深い共感、一般市民への深い共感をもって捉えた人々の絵像はウィットと情感に富み、戦争の惨禍の鮮烈な表現との二面性によって形作られている写真は、画面の中に光と影のせめぎあいを演じます。それはもう写真というより優れた絵画の世界です。

 ロバート・キャパの写真が絵画的であるというもうひとつの理由は、大胆で完成度の高い画面構成です。ゲルダ・タローと一緒に活動していたころ似たような被写体を撮った写真を比べてみると分かります。ゲルダ・タローの写真はあくまで被写体に忠実で写真的です。一方ロバート・キャパの写真は、構図、人の配置、各々の人物の表情、光の陰影までその写真の主張に役割を演じており、無駄なもの、余計なものはほとんどありません。戦場で撮ったと思えないほど高い完成度の高い画面は驚くべきことです。
d0154964_17441838.jpg


 今回の展示にはあまり見られませんでしたが、ロバート・キャパの写真には、日本画のように空白を見事に活用した写真の傑作があります。画面の白い空白は戦場とは思えない静けさを演出します。戦場写真に限らず、古今の写真家で空白の白をここまで見事に写真画面に活かした写真家を知りません。もうそれは写真を超えた絵画芸術の世界です。
mooriyan: おっしゃるとおり、如何なる機材や技術を選ぼうと、最後はその人。
キャパのもって生まれた人柄、その後つちかわれた人間性、そうしたものが作品の
方向を決めてゆくのだと思います。フレーミングのお話ですが、こと写真においては
訓練や勉強などで身につけることは、なかなか困難で、こんなことを言ってしまうと
みもふたもなくなりますが、天性のものだと思います。私のような凡庸な写真家だと
少しでもそこに近づくべく、日頃から良い作品を見て、研究する(恩師の言葉の受け売りです)ことを心がけるのみです。


 被写体との距離とは、「物理的距離」だけではなく、「心理的距離」でもあるからだとキロバート・キャパは言っています。ロバート・キャパは、自分の命の危険をかえりみず、世界の暴力的物語とその中に生きる市民たちの愛を芸術に表現しました。 ロバート•キャパの写真への情熱は平和と戦争の耐え難い時間の恐怖と不確実性をフォトジャーナリストの感覚と芸術家の感性で表現しました。


d0154964_174554100.jpg

The Yokohama Museum of Art has acquired a collection of 193 Capa photographs, many of them donated by the photographer’s brother, Cornell Capa. It features his debut work, an image of Trotsky giving a speech in Copenhagen in 1932, and memorable war photographs such as the photo which well known as The Falling Soldier of 1936 from the Spanish Civil War and documentation of the 1944 D-Day landings in the World War Ⅱ. It also includes genre scenes taken on a trip to Japan during his later years and images captured in Indochina 1954 just before he was killed by an exploding landmine. The photographs are shown together with magazines and other media that spread his images throughout the world, providing an overview of Robert Capa’s life, work, and achievement as a photo journalist.
d0154964_17473663.jpg

 人間の感性とは、文化や芸術に対する以前に、「自然破壊」とともに自然や人と自分とのつながりを実感する力だと思います。感性豊かな人間とは、弱いもの、はかないものにも心を通わせ、周囲の人たちに共感しようとする包容力を持っている人だと思います。今の日本では、政治家、知識人、庶民に関係なく。国民全体の感性の欠落が危惧されますが、ロバート・キャパは世界の人類という広い視野でとらえた「自分たちの同胞」の中で自分をとらえ。それを写真に表現し続けた数少ない報道写真家でもありました。
d0154964_17492050.jpg



d0154964_175010100.jpg

 戦場写真の神様的存在である報道写真家ロバート・キャパの名前を、一躍有名にした「崩れ落ちる兵士」と呼ばれるこの写真があります。ロバート・キャパがスペイン戦争時に共和国軍兵士が反乱軍の撃った銃弾に撃たれてまさに倒れようとしているシーンを収めたとされていました。銃弾で倒れ、死への落下の苦しみの瞬間の男、彼の銃は空中に飛んでいます。バート・キャパこの最も有名な写真は、当初も瀕死のスペイン兵士を偽造したと非難されました。 しかしこの写真は、戦争と死の普遍的なシンボルとしてロバート・キャパとともに生きつづけてきました。 それは今も輝き続けるロバート・キャパ伝説の一部です。

 最近、日本のノンフィクション作家で写真家の沢木耕太郎氏の執拗な調査によって、ロバート・キャパの研究結果を発表しました。それによると、撮影場所がコルトバ郊外のセロ・ムリアーノではなく、同郊外のエスペホであり、「崩れ落ちる兵士」は、本当は銃弾に撃たれてまさに倒れようとしているシーンを収めたものではなく、撮影者もャパ自身ではない可能性が極めて高いというものでした。沢木耕太郎氏の見解ではこの偽りの写真で、ロバート・キャパが一躍戦場写真家の英雄になった、この十字架がロバート・キャパを生死の境根のような戦場の最前線で写真を撮り続ける運命に追い込んだ、というものだと思います。写真の神様の真実に挑んだ沢木耕太郎氏のこの報告は、ロバート・キャパの印象を一変させるものかもしれません。

 しかし私は、芸術家は伝記で語られるものではなく、作品で語るべきものだと思います。ラファエロやカラヴァジョ、ピカソが世間の道徳を逸脱した人間であったからといって、彼らの作品のすばらしさに一点の曇りを与えるわけではありません。ロバート・キャパを世に出した世界的に有名な1枚の写真の真偽はどうであれ、ロバート・キャパが残した卓越した膨大な報道写真は、時代を超えて今日もなお世界中の人たちの心をとらえつづけています。
d0154964_17522961.jpg


mooriyan: 十字架は、キリストもしかりでしょうが背負わされたものではなく、
自らが進んで背負い込んだものだったのではないでしょうか。
「その十字架で救われる人たちがいるのなら、進んでひきうけよう。」
ただ、若きフリードマンはその重さを見誤ったかも知れません。
戦争の構造は巧妙かつ手汚く、想像を絶します。
良かれと思ったことが、都合の良い側にうまく利用されることもあります。
自分が何をしているのか分からなくなってしまうこともあったのではないでしょうか。
しかし、その時を写真に記録しておくこと自体が、たいへん大切なことだと思うのです。
後の世に、理屈抜きに「こんなことがあったのだ」そう肌身に感じることができる。
(報道)写真の役割の良い部分とは(逆に怖い部分でもありますが)
そうした極めて人間臭い部分に訴えかけられることではないかと考えます。
写真が芸術的なほどの作品であれば、それだけ訴える力も大きくなるでしょう。
キャパが背負った十字架は、作品の一枚一枚にも背負わされ、
それを見る私たちにも、手わたしてくる。
手にした十字架を、どのように捉え、生かすことができるのか、
そのことがとても大切なことのように思えます。

芸術家は伝記でなく作品で語るべきとの部分、実に感慨深いものがあります。
写真そのものが芸術であるのか否かは、撮る側の考え方、見る側の受け取り方によって、
自由に解釈して良いものと考えます。ただ、報道写真が報道写真としてあり続けるには、
やはり事実の裏付けが必要になってくるのだと思います。そうでないものは、
やはり報道、ジャーナリズムというカテゴリーではないところで、全く別な価値をもって評価されてゆくことになると思います。
報道写真という冠を捨て去っても、芸術として十分に存在しうるのであれば、それはそれで良いことだと思われます。
生身の人間は、なかなか神様仏様のようにはいかないもので、時に戒律などを自らに課してはみるものの、
そうしたものが必要になるくらい、非常識、不道徳、我がまま放題なのが人の本性なのかも知れません。
そんな困った人間をまるごと「愛おしい」とすますことができれば、伝記でも大いに語れるのでしょうが、
事はそう簡単には いかないようです。

最後に。
恥ずかしながら、私はキャパに関する詳しい資料をもちあわせず、
その多くは、私の学生時代の恩師でもあり、キャパの友人でもあった
写真家 三木淳(1919~1992)氏におうところです。
氏と、その友人たちの話を間接的にではありますが、耳にして、
畏れ多くも、その場に居あわせたような親近感を持っております。
当時の写真家たちの友情は「互いに命懸けで写真を撮る」という
キーワードにより、より強く深く結ばれていたのだと思います。

desire_sanさんありがとうございました。
色々と勉強になりました。今後ともよろしくお願いいたします。
[PR]
by mooriyan | 2013-02-11 19:53

「 NHKスペシャル 世界一有名な戦場写真の謎 」を見て

d0154964_913257.jpg

「 崩れ落ちる兵士 」 撮影ロバート・キャパ
セロムリアーノ近郊、コルドバ戦線、スペイン
1936年9月5日頃
資料:ロバートキャパ写真集 訳・解説 沢木耕太郎
    文藝春秋社 (1988年6月30日現のデータ)

先日、「NHKスペシャル 世界一有名な戦場写真の謎」で
ロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」の写真をめぐり
さまざまな検証がされていました。
この有名な写真が実際の戦闘の記録ではなく、演習中のものであり、
前後のカットがあることは周知のことと思っていました。
「NHKが、なぜいまさら?」と思ったのですが、
いままで知らなかった事実もあり、大変興味深いものでした。
いちばん心にとまったのは、
現代の科学技術をもって、詳細な分析と検証をした結果、
この写真を撮ったのは、キャパ本人ではなく、
当時、キャパのパートナーであったゲルダではなかったか?
と、沢木耕太郎さんが推測するくだりでした。
もし、事実であるなら、この写真はなぜ、ゲルダ・タローでなく
ロバート・キャパのクレジットで配信されたのでしょう。
キャパ(本名アンドレ・フリードマン)とゲルダ(本名ゲルタ・ポホイル)の生立ち、
そして、若く貧しい無名のカメラマンと、同じジャーナリストで年上の恋人ゲルダ。
当時の世界情勢も含め、さまざまな憶測がうかびます。

d0154964_9232100.jpg

ゲルダ・タロー 1937年、命を落とす年の写真。
資料:ウィキペディア

写真配信の翌年(1937年)、ゲルダはスペイン、ブルテネの戦場で命を落とします。
キャパの傷心がいかほどであったか。その後いくつもの戦線をレポートしながら、
1944年をむかえます。「ちょっとピンぼけ」で有名な、
あのノルマンディー上陸作戦のレポート。
銃弾が飛び交う戦場で姿勢を高くして、カメラをかまえることがどれだけ危険なことか、
しかも、最前線の兵士を正面に近いポジションから撮るために、
銃を撃ってくる兵士に背を向けてカメラをかまえる。
「殺してください」と言わんばかりです。
使命感やジャーナリスト魂だけで、そこまでできるものなのでしょうか?

戦場を渡り歩いたキャパは、いつでも素早く動けるようにと、
いつも身の周りのものはスーツケース一つにまとめていたといいます。
1954年、最期の地になってしまったベトナムへ発つ前、彼は日本にいました。
日本の友人に「やめたほうがいい…」そう助言されますが、
「ありがとう。でもいかないわけにはいかないんだ。」そう答えたといいます。
戦場に身をおき、写真を撮ることがイコール、
生きているということだったのかも知れません。

d0154964_935043.jpg

「ロバート・キャパ」1954年東京 撮影 三木淳
資料:三木淳 写真集 LIFEのカメラ・アイ
   小学館 (1989年3月10日現のデータ)

ゲルダと二人で作り上げた、ロバート・キャパというクレジット。
アンドレ・フリードマンではなく、最期までローバート・キャパでありたかった。
「崩れ落ちる兵士」を捏造と言って片づけることは簡単でしょう。
キャパを嘘つきだと言う人がいるかも知れません。
ウソは良くないことです。たとえ、その嘘で誰かが傷つくことはないとしても、
正義へと導くための方便だったとしても。

私が伝え聞くキャパは、少々のいたずらっぽさと、
チャーミングで愛すべき人柄をあわせもつ素晴らしい写真家。
もし、この写真にまつわる嘘がキャパの陰の部分であるなら、
後の素晴らしい写真と数々のエピソードを引き立たせる、
少し苦いスパイスとして、記憶にとどめたいと思います。
[PR]
by mooriyan | 2013-02-05 09:12 | mooriyan

 「NIKKOR」レンズ発売80周年に思う

家内の実家のかたづけものをしていて、
数々の貴重な写真を発見しました。
その中から、この写真をアップしたいと思います。
d0154964_10261561.jpg

家内の伯父にあたる方で、撮影されたのは戦時中(第二次大戦)
ではないかとのこと。写真家であった伯父さんは、当時
偵察部隊に所属し、空の上でカメラを操っていたようです。
いっしょに写っているのがそのカメラです。
いい写真です。戦争という背景がなければもっと素直に
「かっこいい」と言えるのに、残念です。

さて、日本が世界に誇るカメラ産業のパイオニア、ニコン。
そのニコンがレンズ発売80周年をむかえるそうです。
長きにわたり日本の、そして世界の写真産業、文化を
支え続けた功績は、はかり知れないものがあります。
私も恩恵に与った一人として賞賛、感謝の辞を贈りたいと思います。

そのレンズブランド「NIKKOR」は、
1933年に航空写真用レンズ「Aero-Nikkor(エアロニッコール)」を
販売開始したことに始まるそうです。
1933年と言えば、ドイツではヒトラーが首相に就任し、
日本が国際連盟を脱退した、激動の歴史のさなか。
我が愛するニッコールレンズは、少しでも多くの正確な情報を得るという
任務をはたすべく軍需として生まれたのかも知れません。
いま私たちが便利に使う技術の多くが、そうした生立ちを持っています。
こうしたものを次々と生み出す人間の能力は素晴らしいと思います。
生まれ出てくる技術や発見に罪はないでしょう。
それをどのように使っていくのか。とくに、
若い皆さんに考えていただければとおもいます。

レンズも、敵地の様子や戦況を記録するより、
花や鳥や美しい山河、愛すべき人たちを写しとめるほうが、
本望なのではないでしょうか。
[PR]
by mooriyan | 2013-02-01 10:29 | mooriyan