STUDIO LUMIERE  

「 命をかけるジャーナリスト 」

8月20日、ジャーナリスト 山本 美香(やまもと みか、1967~2012)さんが
シリア内戦の取材中に亡くなりました。皆さんもTVニュースなどで目にしたと思います。
世界中の紛争地域で今も、ジャーナリストだけでなく多くの人が亡くなり、負傷し続けています。
紛争の原因は複雑多岐で人間が人間である限り、無くなりはしないのかもしれません。
だからと言ってあきらめるのではなく、いかにおろかで、どれほど人々を傷つける行為なのかを、
山本さん達のようなジャーナリストが、まさに命がけで伝えてくれようとしているのだと思います。

「私は報道で戦争を止めたいと願っているからこそ、ジャーナリスト活動を続けている」
強い意志を感じさせる生前の山本さんの言葉です。ご冥福をお祈りしたいと思います。
皆さんも分野こそ違うもののジャーナリストの一員になろうと勉強しています。
ものごとの本質を自分の目できちんと見極め、
行動できるジャーナリストになってほしいと思います。
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写真はベトナム戦争を取材したカメラマン、一ノ瀬泰造が
持ち帰った「銃で撃ち抜かれたカメラ」
Nikon倶楽部 プロフェッショナルカメラ図鑑 講談社MOOK 2001年発行
「一ノ瀬泰造のニコンF」(http://plaza.rakuten.co.jp/korekusyonn/diary/200708120000/)より。


「カメラを持つと怖いものが、怖くなくなる。」さて、それは良いことなのか?
カメラはお守りや防弾チョッキにはなりえません。危険という本質は変わりません。
でも、そんな現場では自分の存在理由の全てが、カメラというモノに
一点凝縮されるのも事実、それを命がけで守ろうとするのは、
プロフェッショナルであるなら当然のことでしょう。
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写真は1991年6月6日の読売新聞-社会面 
長崎県雲仙・普賢岳の火砕流災害で読売新聞大阪本社
写真部記者田井中次一さんが亡くなった記事。

以下記事より。
田井中記者の遺体は5日、報道陣による張り込み取材が行われていた島原市北上木場地区の通称「定点」近くで収容された。収容作業にあたった自衛隊員によると、遺体は、80-200㎜のズームレンズを装着した愛用の「ニコンF4」を抱え込むようにして、うつ伏せに倒れていたという。右手の人差し指だけが、シャッターを押す格好で曲がったままだった。
写真、新聞記事(部分)をhttp://www.geocities.co.jp/MotorCity/8810/densetu/f4.html より。



最後に。
「命をかけて仕事をする」という言葉の響きに、踊らされないこと。
昔、アメリカのライフ誌のスタッフカメラマンだった人から
「君も一之瀬君たちみたな仕事をしてみたいか?」と尋ねられたことがあります。
当時、戦場カメラマン、一ノ瀬泰造(いちのせ たいぞう1947~1973)を
モチーフにした映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」が話題となり、
写真ジャーナリズムを目指すカメラマン達が「命がけで撮る」ことに
少なからず、憧れ?を抱いた…そこを見透かされたのです。
その人は朝鮮戦争のレポートをはじめ、実際に各地の紛争をレポートしていました。
「言葉じゃ分らないだろうけど、戦争は本当に怖いよ」とまえおきし、
弾丸が飛んでくる風切り音のこと。ふり返るとさっきまで話していた兵士が死んでいる。
屈強なナイスガイの同僚が、戦闘が始まったとたん、恐怖で失禁してしまう。
最前線の街が驚くほど平穏で…自分が何をしているのか分からなくなる。等々。
そして最後に、「命がけと命を粗末にすることは違う。」
「何のために撮るのか、命をかける理由は何か、よく考えてほしい。」
と、釘をさされました。
私は幸か不幸か、命を危険にさらすような現場に行くことはありませんでした。
もし、若い写真家の皆さんが強い意志と大いなる意義をもって
あえて、危険な現場に向かわれると言うなら反対などしません。
唯一つ、忘れないでいただきたい事を写真家、渡部陽一さんの言葉をお借りして
おしまいにしたいと思います。

「戦場カメラマンにとって一番大切なことは、生きて帰って来ることです。」
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by mooriyan | 2012-08-27 08:21 | mooriyan